「回想録(メモリー)ー午後の頁から・・・」は、1979年10月から1984年11月まで「久保田早紀」として歌手活動をしていた久米小百合さんの回想録です。
この本は、芸能界引退から9年を経た1993年11月にレムナント出版から発刊されました。
今回の記事では、久米小百合さんの回想録「回想録(メモリー)ー午後の頁から・・・」をご紹介します。
「回想録(メモリー)ー午後の頁から・・・」の著者
この本の著者久米小百合さんは、1979年から1984年まで「久保田早紀」の名前で音楽活動を行ったシンガーソングライターです。
「久保田早紀」として活動した5年間に、7枚のオリジナルアルバムを発表しています。
久米小百合さんは、1981年にクリスチャンの洗礼を受けており、引退後は本名の久米小百合として、各地のキリスト教会等で教会音楽とアートを融合させたコンサートや、講演会、交流会などの活動を続けています。
「回想録(メモリー)ー午後の頁から・・・」の構成と内容
久米小百合さんは、本書の「あとがき」で次のように書いています。
教会でコンサートをするたびに、「どうしてキリスト教の洗礼を受けたのですか」とか、「何時、歌手を引退しちゃったのですか」とか、いろいろと質問を受けるようになりましてね。
これがまたコンサートの中では話しきれないこともいっぱいあって、いつかはそんな思い出をまとめて絵本のように綴じられたら綺麗だな、と思っていたんです。
この本には、この久米小百合さんの「思い」がたくさん綴られているのですが、本書の半分以上のページは久米小百合さんの幼少期から「久保田早紀」としてデビューする前の時期について費やされています。
残念ながら、「久保田早紀」として活動した時期についは、あまり触れられていません。
久保田早紀さんは、音楽を作ることが辛かったんですね。
こんな記載もあります。
「異邦人イコール、シルクロード」こんな図式ができていたから、他の要素を提供しても喜んでもらえない。
”どうしたらいいの?”、こんなフラストレーションばかりがありました。
エスニック音楽も、ロックも、ニューミュージックもみんな好きです。でも
”自分の音楽って何?”
”私はこれから何処に行けばいいのだろう!”
そんな自分自身への問いかけは、大きくなるばかりでした。
結局この時から、自分のルーツとなっている音楽を探し出す旅、自分のもっと深いところに流れている
”音”
を探す旅が始まりました。
久保田早紀さんは、デビューして2年後の1981年10月11日には、プロテスタントの洗礼を受けています。
そして、自分が探していたもの、求めていたものが「神様へのラブソングを作ること」だと分かったときに、芸能界からの引退を決めたそうです。
まとめ
久保田早紀さんは、洗礼を受けた1981年から引退した1984年までを、「久保田早紀」としていちばん充実した時期だったと振り返っています。
でも、不思議なものですね。
私はリアルタイムで「久保田早紀」さんのファンでしたが、私にとっては「久保田早紀=シルクロード」ではありませんでした。
私は、たぶん「久保田早紀」さんがいちばん苦しかったと思われる1981年5月に発売された「エアメールスペシャル」という「ポップ」なアルバムが、とても好きなのです。
このアルバムに収録されている「キャンバス街’81」という曲が、私にとっての「久保田早紀」さんのベストソングです。
その後、1982年から1984年にかけて発売された3枚のアルバムも大好きで、今でも良く聴いています。
「ネフェルティティ」というアルバムが良いですね。若草恵さんのアレンジが凝っています。「ジプシー」「最終便」という曲が好きです。
井上鑑さんがアレンジした「見知らぬ人でなく」も好きなアルバムです。お洒落で良い曲が揃っています。
久米小百合さんにとって「久保田早紀」としての5年間はつらい日々だったのかもしれませんが、この間に発表した7枚のアルバムは、40年近く経った今でも私を幸せな気持ちにしてくれています。