「あの時マイソング ユアソング」は、2008年11月に新潮社より発刊された、都倉俊一氏による自伝的音楽エッセイです。
私は、「スター誕生」や「レッツゴーヤング」といったテレビ番組で毎週のように都倉俊一氏を見ていた人なので、当時を懐かしみながら興味深く読むことができました。
今回の記事では、都倉俊一さんの自伝的音楽エッセイ「あの時マイソング ユアソング」をご紹介します。
「あの時マイソング ユアソング」の著者
都倉俊一さんは、日本では70年代から80年代の前半に活躍した作曲家で、山口百恵・ピンクレディーなど「スター誕生」出身のアイドル歌謡を中心に、ヒット曲を数多く世に送り出しました。
テレビ番組にも頻繁に登場していて、70年代に日本テレビ「スター誕生」の審査員をしていた他、77年~78年にはNHK「レッツゴーヤング」の司会も務めました。
「あの時、マイソング ユアソング」の構成と内容
第1章では、山本リンダさんの「どうにもとまらない」から一連のピンクレディー作品まで、それぞれの曲ごとにその曲を製作した時の様子が記されています。
第2章では、都倉俊一さんの作曲家としてのキャリアを、第4章では阿久悠さんとの出会いも知ることができます。
また、都倉俊一氏は、81年頃から活動の拠点を海外に移しており、その様子は第3章で語られています。
- 第1章:ヒット曲が生まれる瞬間
- 第2章:作曲家という仕事
- 第3章:日本を離れてー海外での活動
- 第4章:素敵な出会い、忘れがたき人たち
- 第5章:あの時ー時代とともに
この本は、「週刊新潮」に平成19年8月16・23日号から平成20年8月7日号までの1年間連載された「マイ・フレーズ」というコラムに、新しいエピソード等も加筆してまとめられたようです。
まとめ
都倉俊一さんは70年代に日本で大活躍されたのですが、80年代以降になるとテレビの前から忽然と姿を消してしまったという印象がありました。
その理由は、活動の拠点を海外に移されたからだったようで、本書を読むことでその当時の様子を知ることができました。
70年代後半からスタートさせた都倉俊一グランドオーケストラの活動も5年ほどで終わっていたようで、当時はいろいろとご苦労も多かったようですね。
ところで、私がファンだった「倉田まり子」さんの本名は「坪田まり子」さんというのですが、都倉俊一さんの「倉」の字を付けて「倉田まり子」としてデビューしたそうです。
本書ではそんなことも知ることができました。