東京タワー「謎の軟式ボール」とは何か?

東京タワー謎の軟式ボール01

先日東京タワー観光に行ったのですが、その時に「謎の軟式ボール」が展示されていて、興味深く見てきました。

※東京タワー観光の記事はこちらです。

東京タワー観光に行ってきました!

発見された時には大きなニュースになったらしいのですが、残念ながら私は知りませんでした。

私は40年以上前にはとても熱心な野球少年だったので、今回知った「謎の軟式ボール」には少し心が奪われたようです。

今回は2012年に東京タワーで見つかった「謎の軟式ボール」についてご紹介します。

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謎の軟式ボールとは何か?

東京タワー謎の軟式ボール02

発見されたきっかけ

2011年3月11日に発生した東日本大震災の影響で、東京タワーの最先端部分が少し折れ曲がりました。

※折れ曲がった部分の写真は、こちらからご覧いただけます。

この最先端部分は遠くから見ると細い針のように見えますが、実際には直径約37cm、長さ役25mもある鉄柱で、東京スカイツリーの供用が始まる以前はNHKのアナログ放送用のアンテナが設置されていた部分です。

東京タワー謎の軟式野球ボール03

2012年7月10日には、この折れ曲がった先端部分を取り替えるために、空洞の支柱を17分割の輪切りにして取り除く作業が行われました。

そしてその作業中に、地上306メートルの高さにある支柱の底の部分で「軟式野球用のボール」が1つ見つかったのです。

どうして謎の軟式ボールなのか

東京タワー謎の軟式ボール04

それでは、どうしてこのボールが「謎の軟式ボール」と言われているのでしょうか?

それは、地上306メートルの高さの場所に軟式野球用のボールがある理由が分からないからです。

このボールが発見された時には、東京タワー建設時の作業員が記念にこのボールを入れたのではないかと思われたようです。

しかし、このボールには特に何も書かれていないので、それもただの推測にしかすぎません。

また、東京タワー建設中には近くの増上寺に建築資材が置かれていてたので、その近くで野球をしていたボールが紛れたのではないかとも言われています。

実際に、子供の頃に近くで野球をしていてボールを無くしたという話が多数寄せられたそうですが、詳細についてはわかっていません。

私個人としては、近くで野球をしていたボールがこの筒の中に入ってしまい、ボールが入っていることに気が付かないまま塔頂部分に据え付けられたような気がします。

その理由は、東京タワーが建設された昭和33年ごろの子供の遊びは、何と言っても野球だったことです。

昭和33年は長島茂雄さんが立教大学から読売ジャイアンツに入団した年です。その頃はちょっとした空き地では全国どこでも子供がキャッチボールをしていた時代だからです。

2012年12月22日から展示されています

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この「謎の軟式ボール」は新聞やニュースなどでも取り上げられたので、そこそこ反響も大きかったようです。

東京タワーを運営している日本電波塔㈱は「半世紀以上に渡り、東京タワーとともに、東京を見つめ続けてきた謎のボール」と位置づけています。

そしてこの「謎の軟式ボール」は、発見された時の新聞記事などと共に、2012年12月22日から東京タワー大展望台の2階で常設展示されています。

まとめ 私にも謎のボールがあるのです

実は私個人にも謎のボールがあるのです。

ここから先は、私の個人的な話になります。

私が小学生だった時に、当時読売ジャイアンツの大スターだった長島茂雄さんが、お正月のイベントで私が住んでいた地方都市のデパートにやってくることになりました。

その頃は、プロ野球選手がシーズン・オフに地方を回ってサイン会などを行っていたのです。

長島茂雄さんはデパートに設置された舞台で挨拶を行うことになっていて、長嶋さんを歓迎するためにデパートの近くにあった小学校のソフトボールチームのメンバーが、小学校のユニホーム姿で長島さんの後ろに並ぶことになりました。

私はそのチームのキャプテンをしていたので、当日はチームメイトと共に長嶋さんが挨拶をする舞台の上に上がりました。

そして長島茂雄さんが挨拶を行った後に、キャプテンをしていた私は、チームを代表して直接長島茂雄さんから記念のサインボールとサインバットを頂いたのです。

イベントが終わると、私はチームメイトと共にデパートの控え室に戻りました。

控室にはデパートの男性スタッフが待っていて「ボールとバットは後で学校に届けるからね」と言って私からボールとバットを受け取るとそのまま部屋を出ていきました。

ボールは真新しい硬式のボールで、バットは新品の木製バットでした。

その後冬休みが終わり、学校が再開してからしばらくの間、私はチームメイトとともに長島茂雄さんのサインボールとサインバットが届くのを楽しみに待っていました。

ボールとバットは、学校の宝物として将来にわたり展示されることが決まっていました。

しかし、3月の卒業の時期を迎えても、ボールとバットは学校には届きませんでした。

当時の私は人を疑うということも知らない幼稚な子供だったので、どうしてボールとバットは届かないのだろうと思いながら、ただ待つことしかできませんでした。

それから40年以上経った今でも、真っ白なボールと白いワイシャツを着た男性の姿は、私の記憶の底から消えそうにありません。

今でもテレビなどで長島茂雄さんの顔を見るたびに、あのサインボールとサインバットはどこにいってしまったのだろうか?と思い出すことがあります。

「謎の硬式ボール」、野球少年だった私のほろ苦い思い出です。

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